新聞界の巨魁・ナベツネこと渡邉恒雄・読売グループ代表が19日、他界した。98歳の大往生だった。週刊誌各誌は次号でさまざまに彼の「功罪」を描くのであろうが、何にせよ氏の存在は戦後のメディア界で最大級のものだった。1980年代に新聞記者となった私の感覚では、『読売新聞』という国内最大の新聞をわずか数年で、親自民や改憲を社是とする保守メディアに作り変えた「剛腕の人」だった。
それまでの読売は、大阪社会部長・黒田清氏が率いる「黒田軍団」の活躍が『誘拐報道』『警官汚職』『武器輸出』など次々と書籍化され、あるいは東京社会部出身のOB・本田靖春氏のさまざまな名作ノンフィクションにより、市井の庶民に寄り添う事件記者たちの熱血ぶりが印象深かった。その点で「インテリ向け」を気取る朝日とは肌合いが違ったが、戦後民主主義を重視するリベラルな論調は両紙に共通した。しかし、政治部出身の渡邉氏が論説委員長となり社の実権を握ると、リベラルな社会部勢力は次々放逐され、紙面は瞬く間に変貌した。正直、氏の強権的な社内統制の印象は悪かった。
一方で、渡邉氏はあの戦争を体験した世代として、軍国主義を強く憎む人でもあり、戦後60年に合わせ、戦争責任を検証する「読売らしからぬ大型企画」を連載させたりもした。氏にまつわる逸話で最も印象に残るのは、沖縄返還をめぐる日米密約の「外務省機密漏洩事件」(西山事件)で、密約の存在をスクープした『毎日新聞』の西山太吉記者が、その取材過程で外務省の女性事務官と不倫関係となり彼女への機密漏洩教唆を罪に問われた際、ライバル紙の政治部記者だった渡邊氏が法廷で西山氏を擁護する証言をしたことだ。
この事件に関しては、ノンフィクション作家の沢地久枝氏が『密約――外務省機密漏洩事件』という作品で、国民を欺く秘密外交を暴かれた政府が、取材記者の男女のスキャンダルを発見し暴き立て、国民の目を逸らすことに成功したやり口を厳しく批判したが、渡邉氏の訃報に関連して西山事件に触れたyahoo記事のコメントでは、未だにこの件では「西山氏の取材モラル」を糾弾し、政府を免罪する声が数多く、この国では「敵対者の弱みを暴露する論点ずらし」がいかに有効か、その現実を見せつけている。
組織を揺るがす問題の告発・追及と、告発者個人が持つプライベートな「脛の傷」。本来ならそれぞれは別個に論じられるべきことなのだが、この国では「そんな奴ならば耳を貸す必要はない」と本筋の問題を免罪する人が多いのだ。加計学園事件で政府に不都合な証言をした前川喜平・前文科事務次官に対しても「出会い系バー通い」の情報が官邸筋から流出したとされ、あたかも援助交際をしていたかのような報道(皮肉にもこのリークを報じたのはナベツネ氏率いる『読売新聞』で、後日『週刊文春』による当事者女性らの取材結果からその疑惑は否定された)が行われている。
10月に「兵庫県知事斎藤元彦は、なぜあきらめないのか」というタイトルで、元県民局長による県政告発は井戸敏三・前知事派による策謀、とする記事を載せ、斎藤氏の支援者を喜ばせた『週刊現代』が、最新号で「魔の兵庫県知事選」という特集を組み、再び斎藤氏擁護の論陣を張っている。だが、現代の報道ではこの事案の最大のポイント、公益通報者保護法を無視した通報者探しと通報者潰し、という論点がぼやけている。元県民局長が自死した原因は、押収された公用PC内にあったプライベート情報を暴露されることへの恐怖心・絶望感があったことは想像に難くない。『週刊文春』などの報道では、斎藤知事側近の県幹部は「逆らったらぶちまけたる」などと言いふらし、斎藤派の維新県議らも内容の公開を強く主張していたことが報じられている。
西山事件への政府対応と同様の「別件による告発者潰し」の典型的なパターンであり、告発者はその結果、死を選んだ。そんな事態に陥っても、一部の斎藤氏支持者は選挙中も選挙後もPCの内容を公開しろ、と主張し続ける。本題とは直接関係ない部分で、相手の弱みを暴き立てる。そういった手法に卑劣さを感じない人が数多くいるこの国の風土では、権力サイドの危機管理として、この種の対応は今後も繰り返されてゆくのだろう。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。